【うつ病体験告白】地獄の日々のはじまりー第2話ー

こんにちは、田舎もん坊主です。

第1話で「人生初のうつ発症」について書きましたが、今回の第2話では「1度目のうつ病再発」について書いてみたいと思います。

うつが辛くて長文が読めない人は無理しないでね!

第1話で書いたとおり、最初のうつ発症は約10年前で、自分の場合幸いにも不眠や食欲減退といったうつ特有の症状が出ることもなく、仕事も継続しながら服薬と仕事もプライベートも意識的に”頑張り過ぎない”を継続したことで約1年で寛解することができました。

もちろんその後は通院の必要もなくなりました。

その後何年間かは、自分がうつ病だったことなどスッカリ忘れて前と同じような日常生活を送っていました。

仕事は苦労も多かったですが、40代半ばで管理職に昇進し、それなりに順調に思えていました。

大阪本社転勤

管理職昇進に伴って大阪の本社組織に転勤となりました。

  • 曰く付きの組織
  • はじめての管理職
  • はじめての単身赴任
  • 関西での生活(偏見ですが、ちょっとキツいイメージ)

の四重苦生活がスタートしました。

正直転勤の内示があってから赴任までの約2週間は、戦々恐々の日々が続き、プチうつ状態となり、「もしかしてうつが再発するのではないか」と忘れていた地獄の日々の経験が頭をよぎりました。

しかし、いざ赴任してみると、素晴らしい同僚にも恵まれ、管理者としての仕事も「案ずるより産むが易し」で数ヶ月で軌道に乗り始めました。

それなりの修羅場も何回かありましたが、大きな問題もなく3年間何とか勤め上げることができました。

何より大阪での生活が楽しく、休日はガイドブック片手にいろんな名所を観光でき、大阪の食や文化を堪能できたのが何よりの経験となりました。

ここまで書くと、うつ再発の兆候は消えたかに思われるかも知れませんが、うつの病魔はそんな簡単に消えてくれないのです。

もうすぐそこまで忍寄っていたのです。

うつ病の再発

3年間の大阪赴任を終え、戻ってきた職場がまさにうつにうってつけの職場だったのです。

業務内容は大手通信プロバイダーの受託コールセンターで、部下100人余りの管理職につきました。

部下100人余りを2人の課長でマネジメントするといった過酷な業務を任されたのです。

正直部下の顔と名前を覚えるのに数ヶ月はかかったでしょうか。

雇用形態も正社員から契約社員、派遣社員と様々な社員をマネジメントするのは想像を絶するものでした。

しかも受託業務のためクライアントである大手通信プロバイダーからの圧も強く、まさに板挟みの中間管理職となってしまったのです。

毎日部下から10件以上のトラブル相談を受けつつ対応し、クライアントとは毎日電話会議で成果や課題解決策を問われる日々が続き、1日13、14時間勤務が約半年ほど続きました。

この時点で、うつの病魔が放っておくわけありませんよね。

徐々に食欲もなくなり、倦怠感が慢性化し、メールを読むのもままならなくなっていました。

1日100件以上くるメールが全く頭に入らないのです。

すべてが暗号で書かれているようでした。

ある朝、異様な倦怠感を感じつつ、通勤のため車に乗ったまでは良かったのですが、エンジンすらかけれない状態となりました。

何で!?と思われるかも知れませんが、本当に車のエンジンがかけれない程の精神状態だったのです。

もう限界でした。

その日は会社へ行くのを諦め、会社に事情を説明し、休みを貰うことにしました。

少し気持ちが落ち着いたところで以前かかっていた心療内科を予約しました。

この時点で100%うつが再発しているのだと確信していました。

その日のうちに予約が取れたので、妻に送ってもらい約7年ぶりくらいに心療内科を受診しました。

うつが再発してますね、しかも結構重い状態ですね、しばらく休職して自宅療養してください・・・

やっぱりそうなんだ。

正直驚きもなく、冷静に聞き入れることができました。

「とりあえずは1ヶ月の自宅療養が望ましいので診断書書きますね!」

「あっ、はいお願いします。」

ああ、明日から仕事行かなくていいんだ・・・

というのが正直な気持ちだったと思います。

その日のうちに会社に連絡し、翌日から1ヶ月の休職、自宅療養生活に入ったのです。

振り返ると、大阪赴任の四重苦生活にも耐えれたのに、また地元に戻ってうつ病を再発するなんて想像もしていなかったです。

うつの怖さを改めて感じましたうつは誰にでも忍び寄る病魔だってこと。

このうつの再発が後々人生を大きく変えることになるのです。

第3話に続く。

【うつ病体験告白】地獄の日々のはじまりー第1話ー 【うつ病体験告白】地獄の日々のはじまりー第3話ー