こんにちは、田舎もん坊主です。
早いもので令和も今年で三年目。
年を重ねると月日の流れがとても早く感じるのは私だけではないと思います。
昭和なんてもう遠い過去のようになってしまいましたが、一方で昭和のレコードや服装、髪型、自動販売機に至るまで、若者の間で今昭和の文化が注目されています。
私たちが「懐かしい」と感じるものは、若者にとっては「とても新しい」と感じているのです。
これはとても良い風潮だと思います。
その時代に流行ったものというのは、その時代だからこその時代背景が必ずあります。
今の若者が親世代の文化に触れることでお互いの相互理解が深まれば、こんなにいい事はありません。
今回はそんな古き良き昭和時代をミニチュア画像で再現してみました。
昭和生まれの方は、思わず「あったあった」と言いたくなると思います。
一方、今の若者はきっと「何これ?」と言うでしょう。
是非親子でご覧いただき、コミュニケーションを深めながら心を癒していただければと思います。




これも私の学校にもありました。正直高校生くらいになるまで「百葉箱」という言葉も何をするものかも知りませんでした。ちなみに「百葉箱は気象観測のための箱で、中には温度計や湿度計などが入っています。今ではめっきり見かけなくなりましたね。




小学校の運動会の目玉といえば「大玉ころがし」でしたね。昔は中が木枠で紙を重ねてでできていたんじゃなかったかな。なので表面がガタガタで真っ直ぐ進まなかった気がします。今はビニール製の大玉が主流なのでしょうか。




紅白帽は今でも使われてるんでしょうか!?紅組と白組に分かれて競技する際の必需品でしたね。もしかして今のリバーシブルの先駆けだったんでしょうか。よく写真のようにツバを立てて被って「ウルトラマン!」とかやってました!




小学校の頃は正直給食が楽しみで通っていたようなもんです。パンはコッペパンでマーガリンやジャムがついてました。週一くらいで牛乳に入れで混ぜて飲むコーヒーパウダーが楽しみでした。基本牛乳はビンでしたが、三角形の紙パックもなかったでしたっけ!?




確かに横に物掛けがついていて体操着とか掛けてましたね。私の時代は骨格も鉄パイプではなく木製だったような気がします。机の表面は彫刻刀とかで落書きだらけでした(笑)。給食でこっそり残した嫌いな残飯なんかを机の引き出しに隠してずっと放置して腐らしてた記憶があります。




うちの学校では、給食当番が白衣を着てマスクをつけて、まず給食室から台車に乗せてガラガラと給食を教室まで運びます。次は並んだ児童がお盆をもって順番に進んで一品ずつ配膳していくという感じでした。どこも一緒ですかね!?正直給食当番はとても面倒臭く大嫌いでした!




言わずと知れた「教壇と出欠簿」です。これも昔と今で大差ないのではないでしょうか!?20代の新任先生でもここに立っているととても大人で偉大に見えました。私にとって教壇に立つ先生は「偉大で怖い存在」以外の何者でもでもなかったです。




通学帽は何でみんな黄色だったんでしょうね。高学年ではあまり被って通学した記憶がありませんが、低学年だけでしたっけ!?手提げかばんは正直あまり馴染みがないですね。女子は良く持っていたような記憶はありますが、私は持っていた記憶がありません。。。




ラジオ体操と言えばいわば夏の風物詩。夏休み期間中毎朝近くの学校の校庭や公園にスタンプ(出席)カードを持って眠気目を擦りながら通ってましたっけ。そこで友達と遊ぶ約束をしたりして。今では賛否両論の声があってやっている地域とやってない地域があるそうです。




確かにこんな感じでちゃぶ台に置いてありましたね。ポットも今みたいな電気ケトル的なものはもちろん無かったので、あくまでも保温オンリーです。絵柄もこんな感じでしたね。自分でお茶を淹れて飲んだなんて記憶は一切ないですが、とても懐かしいです。
最近、象印マホービンから1960年代後半以降のレトロな「花柄」シリーズを復刻したステンレスマグとガラスマホービンが発売されました。
ブーケ柄の「花化粧」(1970年登場)、斜めストライプのレジメンタル柄の花をあしらった「フローラ」(1975年登場)、繊細でシックな花柄の「ワインフラワー」(1980年登場)の3種類の柄がラインナップされています。
ロゴマークも、発売した時代のロゴを再現しているようです。
とってもエモくてついつい欲しくなってしまいますね。




地域によって違いはあると思いますが、うちの故郷(福井)では結婚式の当日の朝に2階の窓越しや屋根の上から紅白饅頭を撒いて、近所の人に配る風習がありました。皆んな風呂敷や帽子などで上手にキャッチしてました。今や結婚式でも紅白饅頭は見かけなくなりましたね。




持ってましたねえ、絵具セット。水を入れるバケツも確かに三割れのものでした。勉強が嫌いだった私にとって図工の時間は大好きでした。良く学校近くの小山へ出かけて写生してましたっけ。今の小学校でも写生とかやるのかな?




確かに算数の授業で先生が使ってましたね。当時は木製でした。今でも使ってるのかな?ネットで調べてみると今でも「教師用分度器」や「教師用三角定規」という名で売ってました!ってことは今でも使ってるんですね。




私が小学校低学年の頃(昭和40年代後半)はハードケースで表面がビニール製のものが主流でした。いろんなタイプがあって片開き、両面開き、中開きなどなど。その後少ししてプラスチック製や布製のものが出てきたような気がします。当時「象が踏んでも壊れない筆入れ」という代物があってCMのインパクトが凄かった記憶があります。
なんと「象が踏んでも壊れない筆入れ」は今でも販売されているようです。
それほど高くないので、興味がある方は是非購入されてみてはいかがでしょうか。
いかがでしたでしょうか。
撮影にはとても時間がかかりましたが、当時の雰囲気がなるべく伝わるようアングルにも注意しました。
私と同年代のちょうどアラフィフあたりの方は、当時の記憶が蘇ったのではないでしょうか。
また機会があればミニチュア画像で古き良き昭和の魅力をご紹介したいと思います。
ご覧いただきありがとうございました。
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