こんにちは、BOZU@田舎もんです。
長年勤めた大手通信会社を脱サラし、独立起業する際によく知人から「そう簡単には生活水準は落とせないよ」というアドバイスを何度も聞きました。
きっと、収入面でこれまでの水準をキープするのは難しいとのアドバイスだったのだと思いますが、そもそも「生活水準」とは何なのでしょうか?
生活水準とは!?
生活水準とは、衣食住にかけるお金の多寡なのでしょうか?
Weblio辞書によると、「生活水準は、ある国や社会階層など、特定の社会集団の生活内容・生活状況の程度を総合的かつ量的に捕らえようとする指標・概念」とあります。
なかなか解釈が難しいですね。一見相対評価指標のように捉えがちですが、私は個々人の絶対評価指標だと思っています。つまり生活水準に万人共通の基準があるわけでなく、人それぞれの価値観や基準に基づいたものだと思います。
単なる経済的に余裕があるとかないとかではなく、個人の過去の生活体験や心の持ちようも含めた定性的な指標ではないかと思います。
ただ、自分や家族との生活の中での経済的な浮き沈みは、生活水準を左右する要素となりうるのは理解できます。
最初からちょっとややこしい話しになってしまいましたが、様々な苦難があって生活水準が落ちたとしても、心の持ちようで生活水準の落ち込みはある程度カバーできるということをお伝えしたいと思います。
我が家のケース
結論から言うと、私の場合、脱サラし起業につまずき、おまけにうつ病が再発し、職を失ったことで確かに生活水準は落ちました。私の収入面だけで言えば今は年収換算で1/10にまで落ち込みました。
ただ、妻や娘のフォローもあり、家計全体ではそこまで極端なものではありませんが、それでも脱サラ前と比べると、半分以下から1/3程度になったのは事実です。
今でこそうつヌケし、パート勤めもできるようになりましたが、約1年間はそれこそ経済不安がさらに不安を呼び、うつの蟻地獄から抜け出せない生活を送っていました。
その時は生活水準なんて考える余裕すらありませんでしたが、確実に生活水準は低下の一途を辿っていきました。具体的には、
などなど書き出せばキリがありませんが。普段当たり前にやってきた事が、うつ病の再発をきっかけに自然と生活水準を落としていったのです。
うつヌケし万事の捉え方が変わった
独立開業につまずき、うつ病を患い、生活水準が落ち、負のスパイラルから抜けるのは容易なことではありませんでした。本当に死を覚悟したこともありましたが、どうにかこうにかうつヌケできた今は、パートであれ働ける喜びと、贅沢はできませんが、少なくとも普通に日常生活を送れる喜びに溢れています。そして何より1日1日を生きているという実感があります。
恐らく今後も脱サラ前の生活水準に戻ることは至難の技だと思いますが、それを含めても今はそれなりに幸せな生活を実感できているのです。
つまり心の持ち方というか万事の捉え方が以前とは大きく変わったのだと思います。これにはうつ病を患ったという経験も大きいと思いますが、1日1日が健康で平穏な生活を送ることがどれだけ大切かということを身を持って経験したことが、心の持ち方の変化に繋がったのだと思います。
以前「うつで人は豊かになる」という書籍を読みましたが、まさに身を持ってそのとおりだと思えるようになりました。
まとめ
「我唯足知(われただたるをしる)」という言葉があります。この言葉は京都の龍安寺にある「知足の蹲踞(つくばい)」に彫られているものです。 蹲踞は水戸黄門としても知られる徳川光圀公から送られたもので、お釈迦様の「知足の心」を表しているそうです。

私は、脱サラ、独立、休業、うつ病再発を通して、おこがましいですが、今の生活に「我唯足知」の境地が見えてきたような気がします。
生活水準を落とすのは確かに容易なことではありませんが、心の持ち用次第で、その生活を受け入れることは誰にでもできうるのだということです。
私の場合、うつ病がきっかけで心の持ちようを変えることができましたが、日々の平凡(平穏)な生活に感謝できる人であれば、例え生活水準が落ちたとしても柔軟に対応できるのではないかと思います。
もちろんそれには家族や仲間の理解と協力が不可欠なのは言うまでもありません。
誰もが生活水準は低いより高い方が良いと思うのは至極当たり前のことですが、「我唯足知」の精神を大切に心豊かに生きていければと思います。