【うつ病体験談】辛く苦しい地獄の日々のはじまりと終焉

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こんにちは、田舎もん坊主です。

私はかれこれ10年以上うつ病を患いました。

はじめてうつ病になった日、それはまさに「地獄の日々のはじまり」でした。

おかげさまで今では通院や服薬からも解放され、このようにブログを執筆したり、とても健康的な生活を送れるまでに回復しました。

私のうつ病克服法は下記の記事で紹介していますので、あわせてご覧いただければと思います。

今回は、私のうつ病体験を赤裸々に綴ってみたいと思います。

今まさにうつ病で苦しんでいる方の参考になれば幸いです。

はじめてのうつ病発症

はじめてうつ病を発症したのは今から約10年前のこと。

原因は明らかに当時の職場での仕事の質、量がキャパシティを超えてしまったことによるものです。

いきなり全く仕事ができなくなったわけではなく、脳にモヤがかかったような何ともいえない感覚に何度も襲われ、徐々に仕事に身が入らなくなっていました。

そんな状態が数週間続いたため、会社の産業医に相談し心療内科を紹介してもらい受診しました。

診断結果はまさに「うつ病でした。

「まさか自分が・・・」

とショックもありましたが、はっきり病名がわかったことで前向きに治療(休養と薬物療法)に取り組もうと思えることができました。

私の場合は、幸い休職までには至りませんでしたが、当時の上司に相談し仕事量を調整してもらい、なるべく定時に帰れるよう配慮してもらいました。

うつは百人百様の病と言われますが、うつの代表的な症状である不眠や食欲減退などはなく、抗うつ剤を数ヶ月服用し続けたところ、症状が徐々に回復していきました。

主治医に相談したところ、

「仕事を含め日常生活には殆ど影響がないレベルまで回復しているが、うつは再発の可能性が高いので、体調が良くてもくれぐれも無理はしないように!抗うつ剤はしばらく服用を続けるように!

とのアドバイスをいただきました。

「ようやくあのモヤモヤから解放されるんだ」と胸を撫で下ろしました。

結局約1年程度服薬を続けて、主治医からも寛解のお墨付きをもらい、ようやく元の生活に戻れたのだとホッとしましたのを今でも憶えています。

このように、仕事も継続しながらプライベートも”頑張り過ぎない生活”を意識したことで、約1年で寛解することができました。

もちろんその後は通院の必要もなくなりました。

その後何年間かは、自分がうつ病だったことなどスッカリ忘れて前と同じような日常生活を送っていました。

仕事は苦労も多かったですが、40代半ばで管理職に昇進し、それなりに順調に思えていました。

大阪本社転勤

それから何年かが経ち、管理職昇進に伴って大阪の本社組織に転勤となりました。

  • 難しい業務内容
  • はじめての管理職
  • はじめての単身赴任
  • 関西での生活(偏見ですが、ちょっとキツいイメージ)

の四重苦生活がスタートしました。

正直転勤の内示があってから赴任までの約2週間は、戦々恐々の日々が続き、プチうつ状態となり「もしかしてうつが再発するのではないか」と忘れていた地獄の日々の経験が頭をよぎりました。

しかし、いざ赴任してみると、素晴らしい同僚にも恵まれ、管理者としての仕事も「案ずるより産むが易し」で数ヶ月で軌道に乗り始めました。

それなりの修羅場も何回かありましたが、大きな問題もなく3年間何とか勤め上げることができました。

何より大阪での生活が楽しく、休日はガイドブック片手にいろんな名所を観光でき、大阪の食や文化を堪能できたのが何よりの経験となりました。

ここまで書くと、うつ再発の兆候は消えたかに思われるかも知れませんが、うつの病魔はそんな簡単に消えてくれないのです。

もうすぐそこまで忍寄っていたのです。

うつ病の再発

3年間の大阪赴任を終え、戻ってきた職場がまさにうつにうってつけの職場だったのです。

業務内容は大手通信プロバイダーの受託コールセンターで、部下100人余りの管理職につきました。

部下100人余りを2人の課長でマネジメントするといった過酷な業務を任されたのです。

正直部下の顔と名前を覚えるのに数ヶ月はかかったでしょうか。

雇用形態も正社員から契約社員、派遣社員と様々な社員をマネジメントするのは想像を絶するものでした。

しかも受託業務のためクライアントである大手通信プロバイダーからの圧も強く、まさに板挟みの中間管理職となってしまったのです。

毎日部下から10件以上のトラブル相談を受けつつ対応し、クライアントとは毎日電話会議で成果や課題解決策を問われる日々が続き、1日13、14時間勤務が約半年ほど続きました。

この時点で、うつの病魔が放っておくわけありませんよね。

徐々に食欲もなくなり、倦怠感が慢性化し、メールを読むのもままならなくなっていました。

1日100件以上くるメールが全く頭に入らないのです。

すべてが暗号で書かれているようでした。

ある朝、異様な倦怠感を感じつつ、通勤のため車に乗ったまでは良かったのですが、エンジンすらかけれない状態となりました。

何で!?と思われるかも知れませんが、本当に車のエンジンがかけれない程の精神状態だったのです。

もう限界でした。

その日は会社へ行くのを諦め、会社に事情を説明し、休みを貰うことにしました。

少し気持ちが落ち着いたところで以前かかっていた心療内科を予約しました。

この時点で100%うつが再発しているのだと確信していました。

その日のうちに予約が取れたので、妻に送ってもらい約7年ぶりくらいに心療内科を受診しました。

うつが再発してますね、しかも結構重い状態ですね、しばらく休職して自宅療養してください・・・

やっぱりそうなんだ。

正直驚きもなく、冷静に聞き入れることができました。

「とりあえずは1ヶ月の自宅療養が望ましいので診断書書きますね!」

「あっ、はいお願いします。」

ああ、明日から仕事行かなくていいんだ・・・

というのが正直な気持ちだったと思います。

その日のうちに会社に連絡し、翌日から1ヶ月の休職、自宅療養生活に入ったのです。

振り返ると、大阪赴任の四重苦生活にも耐えれたのに、また地元に戻ってうつ病を再発するなんて想像もしていなかったです。

うつの怖さを改めて感じましたうつは誰にでも忍び寄る病魔だってこと。

このうつの再発が後々人生を大きく変えることになるのです。

自宅療養生活のはじまり

うつ病再発後、1ヶ月の休職と自宅療養生活が始まりました。

ちょうど50歳を迎えた年でした。

「今はゆっくり休養するのが最優先」と言い聞かせ、仕事の事は努めて忘れるようにしました。

そのお陰で、寝起きこそ抑うつ感はあったものの、昼から夜にかけては普段と変わらぬ生活を送っていました。

多少の家事もこなしつつでしたが、正直時間を持て余すようになってきました。

余った時間は以前から興味のあった人生哲学やセカンドライフに関するような書籍を読み漁りました。

そんな日が続く中、フツフツと

「人生このままサラリーマンで終わっていいのか」

「もっとやりたいことがあるんじゃないか」

という思いが頭をよぎるようになっていました。

今回うつが再発したのも、一度人生立ち止まって、今後の人生を考えるために神様が与えてくれた機会ではないかとさせ思うようになったのです。

良きにつけ悪しきにつけ猪突猛進タイプの私は、一度思い込んだらとことん突っ走ってしまうところがあり、今回もご多分に漏れず「起業」に関する書籍を読み漁ることになるのです。

会社を辞めて起業する決意

休職期間が終わる頃には、ほぼほぼ決意していたのかも知れません。

「いつか会社を辞めて起業してやる」と。

とりあえずは休職期間を終え、不安と緊張の中何とか復職することができました。

まずは午後からの短時間勤務ということで会社が配慮してくれました。

体力も落ちていたので、これは本当に有り難かったです。

それから数ヶ月間短時間勤務が続きましたが、朝も幾分落ち着いた気分で起きれるようになり、主治医からも”ほ寛解のお墨付きをもらい、フルタイムの勤務に戻ることになりました。

再発したうつ病もようやく影を潜めた一方で、起業への思いは日に日に強くなっていきました。

もちろん家族がいるので、自分一人の思いでは決めれません。

ましてやどんなビジネスで起業するのかもぼんやりしたままでした。

候補を2つ程に絞り込み、事業計画書を作って見ることにしました。

うつの再々発には気をつけながら、寝る間も惜しんで起業の勉強を続けました。

結果この数ヶ月後にサラリーマン生活に終止符を打ち、晴れて起業することになるのです。

いつの間にか話題がうつ病から起業にすり替わってしまいましたが、本当のうつの怖さ、地獄の日々の始まりは起業後に襲ってくるのです。

二度目の再発

長年勤めた会社を辞めてまで私が挑戦したかったのは「カフェの開業」でした。

もともとコーヒーが好きで、他人とのコミュニケーションが得意だったこともあり、いつかは自分のカフェを持ってみたいと思うようになりました。

そこにうつ病という転機が訪れたことによって、いよいよ現実味が帯びてきたというわけです。

もちろん家族にも相談しましたし反対もされましたが、一度きりの人生自分らしく生きてみたいという強い思いもあり、何とか家族を説得し夢を実現することができました。

開業まではいろいろ勉強もしましたし、スクールにも通い、本当にワクワクした充実した日々を過ごしました。

満を辞して開業したカフェも数週間後にはある程度軌道に乗り、すべてが上手くいっていると信じていました。

しかし、そんな思いを嘲笑うかのようにうつ病の再発が間近に迫っていたのです。

開業から僅か二ヶ月余りで体調を崩しがちになり、チョクチョクお店も休むようになりました。

これまでの開業準備とワンオペによる疲労、来店者数や売り上げなどの精神的疲労が重なったのだと思います。

「このままではダメだ」「こんなはずじゃない」という思いと裏腹に心身はもう限界でした。

他にもいろんな要因はあったのですが、開業後三ヶ月でお店を休業することになり、再度心療内科のお世話になることになりました。

そうです、再びうつ病が再発していたのです。

地獄の日々の終焉

その後は約2年程度自宅療養と通院を繰り返しました。

もちろんその期間は無収入のため、毎日が不安に苛まれながらとても辛く長い日々が続きましたが、今はこのようにブログを書けるまでに回復しました。

二度目の再発から数年間は良くなったり悪くなったりを繰り返しましたが、ここ半年近くは心も身体も安定しており、現在ではとても心穏やかで健康的な生活を送っています。

ただ、二度目の再発でとても不思議な体験をしました。

今でも続いている症状もありますが、当時の状況は下記の記事でまとめていますので、あわせてご覧ください。

このように、ようやく地獄の日々の終焉を迎えたのです。

まとめ

以上が私が体験した約10年間のうつ病との闘病生活です。

うつになる背景には様々な要因があると思いますが、何より行き過ぎた資本主義経済が生み出した競争社会が大きな原因であるような気がしてなりません。

私はそれに気づけたことで、競争社会とは距離をとり、独自の健康法を継続することで何とかうつ病を克服することができましたが、気を抜くといつ何時再発するやも知れません。

常に自分と向き合いながら、自分を大切にすることが再発防止につながるのではないかと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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